皆様、お元気でしょうか。秋は短いと思います。

今月1日は諸聖人の祝日です。聖人たちは私たちを励まして聖徒になるように呼びかけています。聖人とは、主のための神聖な生活を送る人です。私たちは共同体の一員として教会に来て、次に神を礼拝するのではありません。礼拝に来て、礼拝によって共同体になっています。キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに、私たちは交わっています。聖人は私たちのために仲立ちをしています。同様に、私たちも互いに仲立ちをしあっています。

昔の教会は神のため、福音のため、また信仰のために自分の命を捧げた殉教者だけを聖人と呼んでいました。では、殉教者じゃなければ聖人にはなれないのでしょうか。いいえ、なれます。神の愛を人々に伝えた人たちは聖人になっています。大変な困難や苦労を乗り越えて聖人になった人もいる、そうでない人もいます。天才も普通の人も聖人になっています。年を取った人もいれば、若い聖人もいる。たとえば、ドミニコサビョは13歳でした。

日本には何人の聖人がいるでしょうか。26人、205人、187人…。日本で聖人と言われるのはこの人たちだけですか。ほかにもいるでしょうか。私はたくさんいると思います。

ヨハネの黙示によると、イスラエルの子らの全部族の中で十四万四千人(*1)だけが神の僕となっています。でも、いろいろな国のいろいろな言葉を話す人たちの、誰にも数え切れないほどの大群衆も神の僕になっています。教会でもすでに聖人となっている人々を数えることができます。名前は書いてなくても神の愛を多くの人たちに伝えてきました。今、生きている人の中にも聖人はいます。だから聖人として名前が残っていても残ってなくても、まだこの世に生きていても、彼らを思い起こし感謝するためにこの日を諸聖人の祝日として祝っているのです。

皆さんインドのマザー・テレサのことはよくご存知だと思います。彼女が生きている間に、前のパパ様ヨハネ二世はマザー・テレサを見て「生きている聖人」と言いました。マザー・テレサを見れば本当のチャリティーの意味がわかるでしょう。聖人は特別な人ではありません。普通の人です。神の愛を人々に伝える人です。

今月15日七五三のお祝いですね。たとえば、祭壇の前にいろいろなバラを置いて、花か茎のどちらかを選んでください、と言ったとします。子供たちならどちらを選ぶでしょうか。もちろん花ですね。なぜなら、きれい、可愛い、美しいから。なぜ、茎を選ばないのでしょうか。とげがあって痛い、怖い、きれいじゃないから。

神様はシエナの聖カタリナに同じ質問をしました。彼女が選んだのはとげのある茎です。神が創ったものはすべて良いものだからです。イエスが十字架に付けられた時かぶっていたのは茨の冠でした。だから、カタリナはとげのある茎を選びました。皆さん、日常生活のどんなとげも私たちをイエスに近づけてくれるものです。パウロのことを思い出してください。「私の身に一つのとげが与えられました。」パウロはこのとげを取り去ってくださいと三度も願いました。しかし、神の答えは「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」。(二コリント12:7,9)

聖人たちはたくさんのとげを受け入れました。神の恵みで、神の力でイエスの道を歩み続けることができました。イエスの愛を人々に伝えることができました。同じように私たちもイエスの愛を人々に伝えれば聖人になれるでしょう。
イル神父

(*1):ヨハネの黙示録14章1~5節