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11月29日(日)、カトリック伊丹教会にて、カトリック芦屋教会主任司祭・川邨神父様のご指導の下、
午前・午後と2回に分けて、黙想のご指導をいただき、ゆるしの秘跡も受けさせていただきました。

テーマは高山右近の列福に関して
キリシタン大名と言われた方々の生涯、
日本188人殉教者について
ミサ中に行われる罪の告白「思い、ことば、行い、怠り」について

最初は高山右近について
どのようにして布教活動を行ったか。
キリシタン大名としての立居振る舞い

どういうふうにして、キリシタン大名や庶民の信者が増えていったのか。

188人殉教者の中から特に私は、ヨハネ服部甚五郎(39歳)とその息子、ペトロ服部(5歳)の殉教が感動しました。
父である甚五郎が捕らえらえた時、まだ5歳のペトロが父親にせがんでついていき、
目の前で殉教した父の姿を見て、同じように処刑してほしいと自ら志願し、
その願いをかなえた息子のペトロ…。

罪の告白について
例えば無理なお願いをされた時、口から出た言葉が「わかりました。」といっても、
心が複雑な心境であれば、顔にもシワとなって出てくる。
これは悪い行いであり、怠りではないかということでした。

これを聞いた私の感想は、
殉教された方々は、渡来した神父・修道士の教え・導きをもとに、
聖書を読んだり祈りを唱えるだけでなく、信仰生活を鍛え、
キリスト者の姿を世に示し、常に清貧を心がけ、
ますます尊敬される人になり、キリスト者を増やしていったのではないかと思いました。

上記のことから、私たちのこれからの信仰生活の見直しと、
宣教活動のあり方が、どうあるべきかを考え直さなければならないと実感しました。