************** 神父様の言葉 ***************
皆さま、お元気でしょうか。
ご復活おめでとうございます。
4月20日はイエス・キリストの復活祭です。神の愛、平和また喜びを味わう時です。カトリックは復活の宗教です。イースターの日、命のシンボルがいろいろ見られます。新しく熾した火から蝋燭をつけて、歌ったり、新しい服を着て喜び合う。これだけでイエスが復活したとは言えないけれど、イエスは復活します、復活しています。私たちもいつかイエスの道を見つけたら、正しい道を歩むことができるようになったら、その日が復活の日です。
メシアは十字架に苦しんで三日目に復活することを、イエスは生きているうちに何回も弟子たちに話しました。でも、これはわかりにくいことでした。このようなことを思ったことがなかったからです。力強く何でもできるイエスですが、ユダヤ人の手にかかって何もできなくなっています。十字架に死ぬことを弟子たちは信じられなかったのです。どうしてそんなことになったのですか。イエスの死は弟子たちをもっともっと悲しませた。だから、イエスが復活したということを聞いて大きなショックを受けました。そしてもう一度、弟子たちの心、気持、考え方の中にイエスが甦りました。イエスはご自分が生きている者と死んだ者との審判者として、神から定められた者であることを、民に述べ伝え、力強く証しするようにと弟子たちにお命じになりました、と書いてあります。
福音に“見て、信じた”と書いてあります。私たちも信じることが大切だと思います。なぜなら、復活は私たちの信頼の中心です。もし、イエスが復活しなかったら、歴史上の登場人物にすぎなかったかもしれません。でも、神様はイエスを復活させました。イエスは自分の命を父の手に委ねました。それで、将来のドアを人間のために開けることができました。種が死なないと新しい命は生まれません。私たちが生きるためにイエスは死にました。私たちの罪は赦されると、イエスの復活によって経験することができます。イエスについて、この方を信じる者は誰でもその名によって罪の赦しが受けられる、と証(あか)ししています。
私たちの心、気持、考え方、そして、生活の中で復活したイエスが来られるのを経験して感じると、弟子たちと同じような信頼でイエスの道を歩むことができると思います。
復活された主イエス・キリストの平和が皆さんの上に豊かにありますように。
イル神父