イエスキリストの
愛するみなさんへ
ヒラン・インディカ
婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を探しているのか。
とイエスがマグダラのマリアに言われた。 ヨハネ 20:15
現代の世界のいろいろな出来事を見ながら考えているとイエス・キリストが
同じ言葉で現代の世界にも声をかけて下さるのではないかと思います。立場に
よっても、年齢によっても私たちも誰かを、または何かを探しているような
感じがします。もしかしたら、涙を見せていないかもしれません。また、
泣き声も出していないかもしれません。でも泣いているという表現で表して
いるのは熱心な気持ちで探していることで、それのもともとの理由を考えて
みたいと思います。ヨハネ福音書によるとマグダラのマリアが一人で朝早く
まだ暗いうちに墓に行ったと書かれています。
自分のすべてを捧げてそのユダヤの時代で女性一人がこんな危険に身を
置くのは愛ではなくてなんでしょう。その泣きながら探していた姿に隠れて
いた愛情を感じておられたイエスさまの慰めのことばは「なぜ泣いているのか。
誰を探しているのか。」でした。
マグダラのマリアの気持ちをはっきりさせたいから、そして、その熱心な心を
見ている、とも伝えたいから、イエスさまが声をかけてくださいます。もちろん、
声をかけてくださったのはイエスさまでしたけれども、マグダラのマリアの
泣きながら探していた姿はイエスさまにとっても一番大事な姿でした。なので、
マグダラのマリアのその状態に近づいてくださったイエスさまが声をかけて
くださいました。でも、マグダラのマリアがまだイエスさまご自身が語りかけて
くださっているとか、近寄ってくださっていることには気づいていなかった。
それに気づくためにはイエスさまの個人的な経験を体験する必要がありました。
ですから、イエスさまの一言、一番大事な一言としてマグダラのマリアを名前で
呼びかけると、マリアがイエスさまの姿を見分けることができました。
全世界が泣きながら真理を探しているかもしれません。すべてを犠牲にして
探しているかもしれません。でも一番必要なことを忘れてはいけないのではないで
しょうか。それは、その真理が私たちひとりひとりを呼んでいるときに、その姿を、
その声を見分けることです。
世界よ、なぜ泣いているのか。誰を探しているのか。