イエスキリストの
愛するみなさんへ
                       ヒラン・インディカ

イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、
清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は
清くなった。               (マルコ1:41-42)

 私たちの人間的な考えから見ると、どんなことでも良い結果が
出たらそれは「よくやりました」と判断することが多いと思います。
もちろん、一番いい結果を望んで努力をしているからです。
イエスさまはすべての人間のために世に来られた方で、なさった
いろいろなことは結果として人々に素晴らしい恵みを与えたことは
言うまでもありません。けれども、信仰生活の場合は結果よりも
私たちの行動の出発点の方がもっと大事ではないか、と思います。
結果は神さまのことであるからです。そしてイエスさまの行動の
出発点は憐み深い心であります。
 イエスさまの場合は宣教であれ、奇跡であれ、癒しであれ、
すべてが心に深い憐みを抱いていたことの結果でした。ですから、
人々の心を揺るがすほど力のある生涯でした。現代社会でも、
結果から見ると素晴らしい行動をなさっている方々がたくさん
おられると思います。でも、その結果がよければそれでいいので
しょうか?
 義務としての気持ちがわたしたちの出発点であるとしたら、結果として
すばらしいことであっても、与える影響はあまりないと思います。それと
同じように、私たちの習慣になっていることでは、良い結果が可能かも
しれませんが、与える影響は弱いと思います。ですからイエスさまの
ように影響を与えるためには私たちの出発点も憐み深い心でないと
その差し伸べる手はどうしても短く感じてしまうと思います。
 2月14日 灰の水曜日から四旬節に入る私たちにイエスさまの憐みの
心に触れる恵みがありますように。

イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、
「よろしい、清くなれ」