イエスキリストの
愛するみなさんへ
                     ヒラン・インディカ
「ヨナにまさるものがある・・・
       ソロモンにまさるものがある」  マタイ12:41-42

この言葉は律法学者とファリサイ派の人々がイエスにしるしを
見せてもらいたい、という願いに対して主イエスキリストの
お答えですけれど、わたしは最近この言葉を
深く感じるようになりました。

預言者ヨナの言葉がニネベの人たちを悔い改めに導きました。(ヨナ3:5)
ソロモン王の知恵が南の国のシェバの女王を驚かせました。
                       (列王記 上10:1)

そのすべてにまさるものがイエス様のうちにあるということをわたしたちは
どう受け取っているのでしょうか。
人間であるわたしたちには、目に見える形や目に見えるものが多くの影響を
与えている、と思います。逆にどんなに大切なものでも、どんなに力がある
ものでも、目に見えないもの、目に見えない存在である限り目に見えるもの
のようには影響を与えられないのではないか、と思います。
たとえば、わたしたちがこどもたちや友達を励ますために「いつもそばに
いる」とか「どんなことでも助けてあげる」というような言葉で話しかけた
とします。わたしたちが本当に一緒にいる時はなにかのことが出来ますが、
少し離れてしまうことになったら、または別の国に住むようになったら、
どんなに言葉で励ましてあげても見えないからできる影響は少ないと思い
ませんか。
しかし、最近わたしが考えるようになったのは、遠く離れていてもインター
ネットのおかげで顔を見ながら言葉をかけていることはだいぶ相手に影響を
与えるようになるのではないか、と思いました。ですから目に見える形
あるいは存在がそんなに影響を与えるなら、目に見えないイエス様の存在、
すべてにまさるこの方の存在の影響がわたしたちの人生にうちにあるために
どうしたらいいのだろう。
わたしたちの人生の小さな経験でも、すべてにまさるイエス様を見出すこと
の方が一番だと思います。

「ヨナにまさるものがある・・・
        ソロモンにまさるものがある」    マタイ12:41-42