イエスキリストの
愛するみなさんへ
ヒラン・インディカ
天におられる私たちの父よ、御名があがめられますように
とお祈りするようにイエスさまが私たちにお教えになりました。
(マタイ6・9)
このお祈りを私たちはよく覚えているし、毎日のようにお祈りしている
でしょう。そうお祈りしている私たちが神様を「私たちの父よ」と呼ぶ
ことはどう思うでしょうか。神様を「私たちの父よ」と気持ちを込めて
呼んでいるのでしょうか。
ひとつは、神様が全能永遠の方だから、その方を「私たちの父」と
呼ぶことは、弱い、罪深い人間にはできないのではないか、という
考えです。そんな偉大な力のある方を身近に感じることはあり得ない
ということです。旧約聖書の時代でも、こう考えていたから神様を
「私たちの父よ」と呼ぶところはほんのわずかです。それも私たち民の
責任者の父という意味で、ということです。「まことにあなたは私たちの
父、アブラハムが私たちを見知らず、イスラエルが私たちを認めないことが
あっても、主よ、あなたは私たちの父です。」(イザヤ63・16)
次に、もし私たち自身のお父さんといい関係ができなかったとしたら、
神様を「私たちの父」と呼ぶのはいかに難しいことになるでしょう。
日本に来てから“地震・雷・火事・おやじ”が日本のもっとも恐れを
感じるものだ、と聞いた時、神様をどんな気持ちで「私たちの父よ」と
呼びかけているのでしょうか、と思いました。
やはり、イエスさまの呼びかけの言葉、「天におられる私たちの父」と
いうことが私たちみんなに大きな違いを教えているのではないか、と
考えました。
それはイエスさまが来られるまでは誰も神様をそんなに親しく身近な
関係で呼べなかったし、呼ばなかったからです。それは、全能永遠の神様の
憐れみ深さをイエスさまご自身の体験と祈りの中で感じたことです。
「父のほかに子を知るものはなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、
父を知る者はいません」 (マタイ11・27)
その神様との親しみを感じて、人間のお父さん、お母さんの弱いところを完成
させてくださるように私たちを力強く守り、私たちの敬いを受けるに本当に
ふさわしい方でおられる神様をイエスさまが私たちの父、と呼びます。
そして、その同じ経験に親しみの関係に私たちひとりひとりをも誘って
くださったから、私たちみんなが神様を
「私たちの父」と呼ぶのです。
天におられる私たちの父よ、御名があがめられますように
とお祈りするようにイエスさまが私たちにお教えになりました。
(マタイ6・9)