私たちのもとを去って神様のもとに召された方々のため、
特に神様から頂いた命の素晴らしさを味わえないまま、
それを失ってしまった方々のためにお祈りを捧げたいと思います。

命の大切さや尊さは「死」というものがあって、
それに関わる何らかの経験をしているからこそ分かるものだと感じます。
世の中のすべてが時間と共に「死」を迎えることになり、
とくに自然というものは「命」と「死」の繰り返しを、明らかに表しています。
あえて言えば「死」がないところには、
新しさが芽生える空間も無くなって行くのです。

ですから「死」が悲しい、
寂しいものであっても、
「命」を大切にしたい、
特に「新しい命」が好きで、味わいたいのであれば、
同じく「死」も好きになって、味わえなければならないのではないでしょうか。

どんなに好きなものであっても、その時が来たら、
ありがたい気持ちを持って距離を置けるようになることは、
お恵みの始まりだと言えます。
きっと、新しい典礼もお恵みの始まりでしょう。

「よくよくあなたがたに言っておく。
もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。
しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ。
自分の命を愛する者はそれを失い、
この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12.24-25)