コロナ禍の中で出来なくなったことも沢山あると思いますが新しく生まれたことも沢山あるでしょう。
 その新しいすべてを表すように使い始めた「ニューノーマル」という言葉は、教会信仰の歩みにも何らかのヒントを与えている気がします。今まで普通だと思っていた事はこれから普通でなくなり、新しいことが普通になっていくということでしょう。私たちの信仰の歩み、祈りの仕方、宣教の在り方の「ニューノーマル」が生まれてこなかったらコロナ禍の時代に負けてしまうかもしれません。
 ですから「見よ、私は万物を新しくする」という黙示録(21.5)の言葉が教会のニューノーマルを踏み出すための力でありますように。