私たちは幼子イエス様のご降誕の前に心の準備をするために、
カトリック枚方教会から長崎 壮 神父様をお迎えし、
マリアがどのようにして準備をなさったのか、
指導していただきました。

マリアは毎日どのように祈り、
謙虚に耳を傾け、イエスの誕生を聞いて、
謙虚な気持ちで「救い主の母」になることに同意したか。

マリアの使命、話し方、意識の仕方など、
様々な方向から指導していただきました。

意識の様々な動き
心も体も意識しているのを「自覚している状態。」
意識に現れず、自覚されずに働いている「潜在意識。」
自分で自分の行為に気づいていない「無意識」

態動的な意識
「考える」「話す」ことなど、外界に向かう意識のこと。

受動的な意識
「聞く」ことをはじめとする観察と沈黙における内面に向かう意識

この話を聞いたとき、沈黙はしているけれども、
神の声を聞くことに意識しているか、個人のことばかり、
心の中で話をしていないか、個人の心は本当に神様に向かって
開いているか、「意識」について、深く考えたことがあるかどうかを、改めてもう一人の自分に問いかける時間をいただきました。

そして心と体に意識をしながら祈ることによって、
沈黙することによって、心が成長することを改めて実感しました。

聞くことで注意をしないといけないことは、
無意識のうちに聞きたい情報、聞きたくない情報や話を振り分け、
個人の都合のいいように解釈しないように、
つねに意識するなり紙に書くことだと思いました。

個人で得た情報、神様からいただいたみことばは、
決して自分のものだけにしないで、言葉によって、
そして行動によって人々に伝えることで、
個人が無意識のうちに他人に伝わっていくので、
「意識」することが本当に重要だと再確認しました。

続いてのお話は、マリアはどのように祈り、意識を深化させたか。

1、天使のお告げ「受胎告知」
マリアは自分の聖書的知識を総動員して、
「人類に対する神の救い」を意識しました。

2、エリザベトを訪問する
洗礼者ヨハネを身ごもっているエリザベトのもとに訪れ、
恵まれている者がどのような者かを確かめ、
お互い同じ神秘を体験したもの同士で、
共に喜び分かち合う。

マリアの讃歌(マグニフィカット)
マリアは信仰生活の中で、聖書のみことばを表現することで、
「自分のもの」にしていった。

私たちの生活のなかには、「なぜ私に?どうして?」と思うような、理解しがたい出来事が突然起こります。

その時は怒ったり、泣いたり、笑ったり、叫んだりして、
自分自身で無意識のうちに感情をコントロールしてはいないでしょうか?そのときこそ、マグニフィカットを声を出して唱え、意識を集中することによって、神様から不思議な力をいただくことを、
再確認しました。

4、神殿で幼子を奉献
シメオンの予言  イエスとともに苦しむ。
単なる母としての苦しみではない。
マリアはここでは反論せず、意識の深化が見られた。

5、神殿での少年イエス
「母はこれらのことをすべて心に納めていた」
普通なら、我が子が突然いなくなり、探して見つけたとたん、
我が子をすぐに連れ戻し、叱りつけるでしょう。

ですがマリアはなにも言わず、すべて心に納め、
秘めた思いを巡らしていた。

6、イエスの母、兄弟
イエスの言葉「私の母、兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである。」

この言葉を聞いたマリアは、一切動じず、イエスの意思と自らの使命が完全に一致していた。

私たちは「深化」をせず、「進化」だけをし続けてはいないだろうか、個人それぞれの「深化」はいったい何なのか、これから「私の深化」を意識して、受動的もしくは観想的に心に納めたいと思います。

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