今を生きている私が、差し上げたものといただいたものについて考えてみ

ましょう。また、経験した悩み苦しみと祝福や恵みのことを考えてみましょう。

実際、自分が差し上げたものよりもいただいたものの方がはるかに多いでしょう。

もちろん、恵みもそうでしょう。ですから、今日今ここにいるのです。

もし、いただいたものよりも差し上げたものが多かったとすれば、あるいは、

恵みよりも苦しみが多かったとすれば、今日私は、生きていないはずです。

ですから、私はすでに十字架を通して恵みを味わっているということでしょう。

この世に、生まれてきた時から、両親に兄弟に家族に周りの方々にしていただいた

ことで心がいっぱいではありませんか。ですから、命を味わっているからこそ、

感謝できるのです、感謝するのです。私がこの命をどう味わっているのでしょうか。

                                  ヒラン・インディカ神父