イエスキリストの
愛するみなさんへ

                    ヒラン・インディカ

「マルタという女がイエスを家に迎え入れた」ルカ 10:38

わたしたちはマルタとマリアのことについて書いてある
ルカによる福音書のこの箇所をよく黙想したことがあると
思います。マルタがいろいろなもてなしのためせわしく立ち
働いていた時、マリアは主の足もとに座ってその話に聞き
入っていました。そしてマリアが選んだやり方の方が一番
必要なことであるとイエスさまが教えてくださいました。
もちろん、わたしたちもイエス様の足元に座ってその話に
聞き入っていなければイエス様の弟子としての生き方を
学べないのは言うまでもありません。

しかし、わたしはマルタの行動の中でも、大事なことが
あったのではないかと思います。それは、「マルタという
女がイエスを家に迎え入れた」ということです。もし、マルタの
この「イエスさまを迎えいれる」という行動がなかったとすれば、
マリアがイエスさまの足元に座って話を聞く機会はありえなかった
のではないでしょうか。たくさんの人々がマリアのようにイエス様の
足元で話を聞く機会を作るには、どれほどこのマルタの迎え入れる
気持ちが私たちの人生でも、私たちの教会でも必要になるのでは
ないでしょうか。

最近、私がある方と話している時、この「迎え入れる」という
行動がどれほど私達に影響を与えるのか、と悟りました。
あるお母さんと娘さんの話なのですが、その娘さんがイエス様の
ことや教会のことに興味を感じて教会に行ってみたいとお母さんに
伝えたそうです。その気持ちを迎え入れたお母さんが娘さんと一緒に
教会に勉強や御ミサに参加しました。そのように参加しているうちに
お母さんの方がもっと深い興味を感じて洗礼の恵みをいただくことに
なって、今もイエス様の足元に来て座って話を聞くことを続けています。
このすべてはその娘さんの気持ちをただ迎え入れたからではないで
しょうか。

イエス様の足元にすわってその話に聞き入っている教会があるために、
気持ちよく迎え入れる教会であれば十分だと思わないでしょうか。

「マルタという女がイエスを家に迎え入れた」ルカ 10:38